B級秘境マニア 〜ある理科教師の旅の形〜
(2001年駒大高祭 文芸部 部誌 寄稿)

 秘境や秘湯がブームといわれて久しい.しかし秘境であった場所がテレビや雑誌でとりあげられた結果,観光客が大挙して押し寄せ,俗化してしまったところも数多い.
 今回は,ある一人のマニアックな理科教師が考える本当の意味の秘境をみなさんに御紹介しよう.ただしいわゆる世間が認める正統派の秘境ではないので,「B級秘境」と僕は勝手に呼んでいる.

 それは,大学2年生の時のことだった.当時僕は信州の山奥で学生生活を送っていた.大学での専門の関係上,「地形図」を眺めることが多かったのだが,ある日地形図を眺めていてある地名が目についた.それは「小和田」という地名である.

 ふと,記憶が高校生の頃に戻った.自分が高校3年の時だったろうか,皇太子が結婚することになった.その相手の姓が小和田であった.(現在の皇太子妃雅子さんのことである.)そんなわけで当時長野県南部の天竜川沿岸にあった小和田という駅が雅子さんの名字と同じということだけで,県内外から数多くの人が訪れ,婚礼の儀までの数カ月で100年分(?)の記念切符を売りさばいたという.

 あのブームから5年が経過していた.そして,当時はとにかくカネは無いがヒマは有り余っていた.よってその次の日には「青春18切符」を片手に,車内の人となっていた.

 当時自分が生活していた松本という街から,同じ県内にも関わらず5時間程もかかって,小和田駅に到着した.雅子さんブームから5年が経過していることもあり,降りた客は自分ひとりであった.記念切符などもすでに売っていなかった.(そもそも駅には駅員を含め全く人影がない.)ホームには,長野,静岡,愛知の3県境界駅という看板がある.駅名標には「こわだ」とある.雅子さんの旧姓は「おわだ」だったような気がするが,,,,,,.

 駅は無人駅なので降りる際に車掌が切符を回収しに来た.そして車掌は「では,お気をつけて」と一言言い残して,電車は再び谷間へ消えていった.「?一体何を気をつけるんだ?」その理由は,駅の改札口(という程立派なものではないが)をでた瞬間に判明した.
駅前には家が数軒あるのだが,それら全ての家が廃屋なのである.屋根が半分崩れ落ち,あるいは床が抜け落ちている家もある.昔は製材工場だったとおぼしき建物もあり,製材の機械がそのまま放置されていた.傍らにはなぜか酒瓶が,,,,.

 廃屋(というか廃集落)の向こうには,ゆったりと流れる天竜川.あたりに聞こえるのは川の流れる音と,鳥のさえずりだけ.人工的な音は何一つ聞こえない空間,,,,,,,,,.

 そういえば,ここの駅周辺には道路がない.ということはこの駅や集落には車で来ることは不可能ということである.車で行くことができない駅っていうのは,車社会の平成のこの世には極めて珍しいのではなかろうか?もっとも交通手段が一日に数える程の本数の電車しかなかったためにこの集落は没落したのかもしれない.

 さて,ひととおり駅前をみて腰を抜かしたところで,駅から少し離れたところも探検してみることにする.今回の旅行(?)の目的には駅訪問の他にも周辺の地質を観察するという,本来の学業についても少しは意識していたので,調査を兼ねて隣の駅まで歩くことにしていたのである.(当然のことながら,周辺は山だらけなので,地層は道ばたに無数に存在する.)

 先述したとおり,小和田駅周辺には道路が全くないので,けもの道みたいな道を,地形図をたよりに歩いていく.しばらくいくとまた廃屋が,,,,,,.建物の所有者(いるのか?)に悪いとおもいつつ,中に不法侵入する.すると家のなかには食器や家財道具がそのまま置いてある.それどころか布団までそのままだ.一瞬人がまだ住んでいたのかとあせるが,居間だったとおぼしき空間に貼ってあったカレンダーが1963年のものだったので安心する.それにしても家財道具一式そのままで家を離れるとはどのような心境だったのだろうか?借金取りに追われて夜逃げ同然だったのだろうか?と思いは巡る.35年間も夜逃げをした夜(勝手に夜逃げと決めつけている.)そのままの状態で保存されているのがすごい.この家の庭にも酒瓶が散乱していた.

 さて,この後は天竜川にかかる橋を渡って,隣駅まで歩く予定になっている.電車の時間の都合もあるので歩を速める.しかし,道がだんだん悪路となり,しかも路肩が崩壊してきた.かなり不安になりながらもそのまま歩く.(ここが運命の分かれ道となった.)

 とうとう斜面が完全に崩壊している場所まで来てしまったが,このまま引き返すとあとの日程にも差し障るので,そのまま崩壊地を乗り越えてそのまま進む.もはや人間の道なのか熊の道なのか判らない状態の道をそのまま進む.天竜川にかかる橋まではもうすぐだ.橋をわたれば,目的の隣駅は目前である.

 カーブを曲がると橋があらわれた.しかし僕の目の前は真っ暗になった.なぜなら突然夜がやってきたと言うわけでは無く,この橋は床が無い橋だったのである.いや,正確には昔は床はあり,渡れる橋だったのだろう.しかし床の大半は抜け落ち,残っている床は半分もない.中にぶら下がっている床も見られる.自分が体操選手だったらおそらく,橋を支えるワイヤーを伝って行くのだろうが,生憎どうみても自分の腕の太さではそんな芸当できそうにない.川を徒渉するにも,河原までは標高差100mはありそうな切り立った崖の上である.あらためて川の侵食作用の偉大さを噛み締めながらも,僕は途方に暮れた.北アルプスの稜線で遭難ならまだ格好がつきそうな(?)ものの,こんな谷間で遭難するのは絶対嫌なので,元来た道を戻ることにする.崩壊した橋の向こう側には本来の予定で乗車するはずであった電車の姿が,,,,,,,.

 山の谷間の夕暮れは早い.日が陰ってきた.元来た道を不本意ながらも引き返す.暮れなずむ小和田駅前の廃集落は無気味以外の何ものでもなかった.すっかり暗くなった小和田から乗車した電車では,乗客,車掌双方から奇怪な目で見られたのは言うまでもない.しかし,僕にとってはそんな目でも人の温もりを感じていた.なぜならさっき電車を降りて以来数時間,全く人に会っていなかったのだから,,,,,,,.

 こんなわけで,すっかり廃屋訪問に目覚めてしまった僕は,天竜川周辺から岩手県の北上山地にいたるまで廃屋を求め,足繁く通うこととなった.ただ,どこの廃屋廃集落にいっても,酒瓶と一斗缶が必ず転がっているのが印象的であった.

後日談:
 もはや小和田駅の存在意義自体が疑われるが,駅から徒歩60分(!)→車道が無いので徒歩.の場所に現在も人が住んでいる集落があることが判明.この集落には廃校(統合され廃止された小学校)があり,なぜか教材や教科書がそのまま放置されている.理科室の人体模型までもそのままなのがなんともシュールであった.(行ったのが夜じゃなくてよかった.)

 廃屋,廃集落,廃校.これらの存在は人々の都市一極集中について様々な問題を投げかけているような気がしてならない.

参考データ:
この場所に行ってみようという酔狂なあなたのために行き方の説明.
新宿or八王子→特急あずさ2時間→岡谷→JR飯田線4時間→小和田
(繰り返しますが,この場所へは車では近付けません.)